アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

最高のものを目指すことをやめて、最低でないものを目指すと心が穏やかになったことについて。

ひとつのものだけを7年も作り続けていると、本当にこれで正解なのか、これを作り続けていくことがいいのかどうか、という問いをすることが怖くなる。自分に問うたとき「今までやって来たことなんて間違いだよね」という答えに辿り着いてしまったら、それまで続けてきた何年間が無駄になってしまう。そういうのをやっぱり怖れてしまうし、だったらそのへんは誤摩化して続けていこうよ。となる。結果、耳を塞いで続けていくのだけれども。

求道的にものを作る人の頭の中は「自分だけの究極の完成予想図」があって、それに向かってただひたすらに突き進んでいくタイプの人が多い。だから他人からダメだしされても「あいつらは分かっていない」という呪文を唱えながら自分だけの道を突き進むことができる。心の折れない人がそういったタイプになるのだと思う。

僕はひじょうに心がひ弱なのですぐに心が折れてしまう。だから常に疑っているわけです。自分のことや自分の仕事に対してね。こりゃあ間違ってるよ、とか、こんなん売れるわけねえじゃん。とかね。なんだけど、これ以外に何をやって生きていくのかと問われたら、それ以外に思い浮かばない。今のパンを焼いていること以外の自分が想像できない。やめたらたぶん腑抜けになる。

僕が好運だったのは、家族が僕の仕事を信じ続けてくれたことだと思う。僕は僕自身の仕事を疑い続けているのだけれども、家族は「このパンは素晴しい、いつかきっと分かってもらえる」と信じてくれている。だからこそ続けて来れたのだろうと思う。僕も心の中では「自分だけの究極の完成予想図」に向かって突き進んでいるのだけれども、結果が出ないまま7年も経つと心も複雑骨折してしまうわけだ。それを家族という添え木で無理矢理に支えてもらって立たせてもらっているに過ぎない。

本業以外のことに手を出して「俺は何屋だよ~」とか嬉しそうに言う人がよくいるけれども、そういうのを見るととても羨ましく思えてくる。僕は本業以外に興味が無いので、他のことをしようにも心がスカスカになってしまう。だからほとんど仕事をしていないことの方が多い。パンを毎日焼き続けていられれば幸せなのだろうが、そんなに売れないので焼く幸せもそれほど感じられない。いろんな仕事が重なって大量のパンが必要な時には僕は喜々としてパンを焼く。ああ、やっぱりパンを焼くって楽しいなあと噛み締めている。でも普段は焼かない。自分で焼けばすぐに済むことでもスタッフにお願いしている。お店に立って、売れないことの重圧の方が心の負担になってしまうからだ。

忙しいときは楽しい、1日に200kgとか300kgのパンをゆきちゃんと二人で焼き上げるとか、そういう超人プレイもなかなか面白いものだと思う。でも暇なら地獄だ。自分が考えたパンが家計を崩壊させ、家族にも負担をかけてしまうことになる。自分が思い付かなければこんなことにはならなかっただろうに、と自分を責めてしまう。だから忙しい時以外は何があろうとも店には立たない。

そんな塞ぎ込んでいた僕だけれども、ここ1年くらいは心が穏やかになった。理由は僕の中でのパンの在り方を変えたからだ。それまでは「自分だけの究極の完成予想図」に向かって改良を重ねていたのだけれど、最近は「みんなが読めるひらがなだけの本」のような商品づくりにシフトしている。最大公約数を目指すという感じのパン。

四季のカンパーニュは厳密に言うとカンパーニュではない。カンパーニュのフリをした何かでしかない。見たことの無いものだからみんな警戒する。食べる時にも「もしかして不味いのかもしれない」という先入観を持っている。だから特徴のある味だと賛否が大きく分かれる。だから数年前まではよく「不味い」と言われていた。やっと最近カンパーニュというものも知られてくるようになったけど、それでも全体から言うと少数派でしかない。すこし目線を離して見てみると、なんだか自分がやるべきことが見えてきた。

それまで自分しかイメージできない「自分だけの究極のパン」を追い求めていたのを、「不味くないパン」に切り替えた瞬間にすべてが変わった。不味いと言われることもほとんど無くなったし、昔みたいに目の前で試食を吐き出されることもない。不味くなければ文句は言われない。ということに気付いたわけだ。催事の話が増え、卸の話をいただき、レシピの改良はスピードを上げていった。美味しいものを作るのではなく、不味くないものを作る。これによって四季のカンパーニュは世の中で生き続けることができるようになった。

直営店の客が少ないのに販路が増えるという状況下で、ナショナルデパートの商品はどうあるべきかという問いに対して僕が出した答えは、

「一部の人に最高に喜んでもらえるもの」から、

「大多数の人に不快感を与えないもの」に変わっていった。

直営店が流行るのであれば個性を全開に進めば良いけど、すでにナショナルデパートが個性の粘土をひねった複合体で販路も露出も広範囲なので、商品のコアは守りながらも表層部は時代に合わせるべきなのではないかと思い始めたわけです。

最近はよく眠れます。自分を疑わなくても良いのですから。最高のものを目指すことをやめて、最低でないものを目指すと心が穏やかになるなんて、若い頃の僕では考えつかなかったことです。今はすごく落ち着いています。自分の道を進むために自分を追い込むことが、果たしてみんなを喜ばせる結果につながるのだろうか。そういう問いの答えが瞬時に出てきます。自分の目指すものは必ずしもみんなを幸せにしないわけです。やっぱり多くの人から「おいしい」と言っていただけることが喜びなわけですから。