アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

僕は女郎のように恥ずかしい格好で尻を振っていなければならないのか。

久々に“よくある質問”のお問い合わせを頂きました。 サイトのどこかにQ&Aとして作っておけばいいのですが、質問の内容が同じような内容でしかも質問される方の居住地域が狭い範囲内に限られているために、アーカイブとして残して広範囲の方にお知らせするのもどうかと考えていました。ですが、5年も10年も前の話を持ちだされてメールで糾弾されても、私も人間ですから心情的にしんどい思いをすることも多いわけです。なので、これを機会に少しづつよくある質問集をまとめていこうかと思っています。以下、実際に送られてきたメールの内容から代表的な質問を一部引用させていただき、それに答える形で問答集としていきたいと思います。 Q1:昔はパンに酸味があって独特の触感も好きだったのに、味が変わった気がします。 A1:食感、食味共に改良しています。 まず前提としてパンの酸っぱい「酸味」は生地の乳酸発酵が進みすぎることで結果的に得られるものであって、酸味を出すことを主目的として生地を発酵させているわけではありません。パンにおける「酸味」は食味の観点から言うと雑味の範疇です。酵母種の中に混在した乳酸菌が増えることで乳酸発酵が強くなり酸味も増しますが、それは美味しくするために意図的に行っていることではなく、焼成に必要な膨張を得られるまでに時間がかかっていたために意図しない酸味が発生していたとお考えください。日本人で「酸っぱいパンが好きなの」という方がたまにいらっしゃいますが、それは本末転倒な考え方だと思っています。「おいしいパンが好きなの」なら理解できるのですが、酸っぱければ酸っぱいほど美味しいという考え方はパンにおいては当てはまらないと考えます。どうしても酸味がなければ満足できないというのであれば過発酵させたヨーグルトをパンに塗って食べることでカバーできます。ただ乳酸発酵工程というのは一般家庭で安全に通過できるものではないので、健康上不利益を被る可能性もございます。パンの酸味信仰のような女子高生のルーズソックスが馬鹿のように長くなった時のような行き過ぎたな嗜好がパンに求められる場合が多いのですが、これについては私も個人的に不思議でなりません。 食感の変更については以前の製法とはまるで違う考え方でレシピを改良しています。四季のカンパーニュは一般的に言われるいわゆる「カンパーニュ」に自然素材で着色してフレーバーを加えるという製法から始まっています。クラムの層の粗密がまばらでしっかりした引きのある食感と、しっかりと焼きこまれた密度の高いクラスト層からなる、まあいわゆるカンパーニュをベースにしていました。お客様の言われる独特の食感というのは現在なら一般的にも売られているリュスティックなどクラムの粗いパンの食感だと思われます。どうして「独特」と感じられたのかは定かではありませんが、おそらくは食感はハード系なのに色と香りがケーキのように感じられることが「独特」という感想を持たれた原因ではないでしょうか。 上記「酸味」と「食感」の仕様変更についてお客様側からすれば「どうして私に断り無く味を変えたのだ!」という感情を持たれるかもしれませんが、毎日のように製法や配合を変更している身といたしましては、お客様が何年前のどのレシピのことを言われているのかよく分からないのが実情です。上記「酸味」や「食感」にいたしましても、私は美味しいから酸味を出してクラムの引きを強くしていたわけではなく、カンパーニュから派生した製法で作ったために結果的にああなっていたに過ぎません。「こういう味にしよう」としていたわけではなく、試行錯誤の最中で偶然的にああなったに過ぎないのです。ですからお客様のお気に入られたパンの味は私にとっては途中経過のものでございまして、現在のものこそが私が9年間追い求めている未だ見ぬオリジナルの理想形にもっとも近づいた状態だとご認識ください。お客様の思い出を壊すようなことになるかもわかりませんが、過去の味に戻すつもりは毛頭ございません。私はもっと先のパンの未来が見たいからです。 「どうして私に断り無く味を変えたのだ!」と自ら名乗ってメールで伝えてこられるのであれば、お客様が買われていた頃のように一日の客が一人とか二人の状態だった過去に戻れとおっしゃるのでしょうか。それがお客様の望まれていることなのでしょうか。言いたいことを勝手におっしゃられるのはいいですが、何の責任も負わない立場で上から目線で人の数年間の努力を侮蔑するようなことをされるのは同郷として恥ずかしい限りでございます。お客様から寄せられたご意見と同内容のメールは過去にもございました。そのすべてが岡山の方からです。「数年ぶりに来たら味が変わってる、許せない!」とおっしゃられても、九年間地道に試行錯誤を重ねて全国十万人規模の商いも見えてこようかという状態にまで支持されているものを「思い出と味が違う」と言われましても私もどのように対処してよいのやらわかりません。僕が先に進もうとするとどうして岡山の人は後ろから斬りつけるようなことをするのか本当に理解できません。 「なんだかお菓子のような、油脂は使われていないとのことですが、味はどこかで食べたデニッシュ食パンみたいに感じました。」 とても悔しいです。お客様は気づかれていないのです。油脂と卵を使っていないのにデニッシュと変わらない親しみやすさを出すのにどれほどの時間と努力が注ぎ込まれてきたのか。カンパーニュというものをベースに、どこにもない中庸の味と食感を表現するのが私の理想です。卵やバターを使わずに小さな子供からおばあちゃんまで美味しく食べられるお菓子のようで形はゴツゴツのカンパーニュできちんと昔の製法を守っていてそこに全く新しい手法が取り入れられてどのカテゴリーにも属さない新しい優しい味。お客様の理想ではありません。私の理想を追い求めているのです。今まで一度たりともお客様のご要望に沿った商品作りなどしたことがありません。私は私の理想を追い求めいるだけです。お客様は可哀想です。誰でもできる途中経過のパンの酸味やどこにでもあるハード系パンの食感を有難がり、自分の好みと違うというだけで客という立場を利用してわざわざメールで言いがかりをつけてくる。パンに色とフレーバーをつけるのは私のほうが先に始めています。そうやって他の引き合いを出して人を馬鹿にして貶めるのがこの土地の人のキラリと光る特徴かもしれませんが本当に同郷として恥ずかしいです。そうやって本質を見ない素人感覚で本当の個性を潰していくのでしょうねとか考えるとホント悲しいですよ。これが僕の感想です。 僕は女郎のように恥ずかしい格好で尻を振っていなければならないのか。 僕は今回のメールを読んでこんなことを考えるようになった。朝鮮戦争の頃から新宿や大久保でパンパン(街娼)をやっていたというオバサンによく飯を奢ってもらっていたことがあって、オバサンの若い頃の話をよく聞かせてもらっていた。体を売るっていうのはどういう感覚なのだろうかとか思っていろいろ話を聞いていたけど、もう昔のことだしね~仕事でしょ何だかんだ言ってそれきりしか仕事が無いんだからねとオバサンは言っていた。金を払えば他人を言いなりにできると信じ込んでいる人ほど簡単にあしらうことができるのだとオバサンはよく言っていて、僕は商売をするようになってその言葉を時々思い出すんだけど未だにその言葉の真意がよく分からないでいるんだけど、僕はそうやって体を売ることを恥ずかしいことだと思っている。だれも恥ずかしくないとは思っていないだろうけど、若い頃は大人のフリをしようとして自分の意見を曲げてうまく立ちまわったりするのが体を売ることとイコールな感覚でいた。仕事と割り切れば恥ずかしい格好で尻を振ってもいいのだという感覚だ。客に言われるがままにいろいろなポーズをして求めに応じてサービスすればちょっと我慢した先にお金がもらえるという感覚。BtoBの仕事をしているときは担当部課長から役員までの数人のキーパーソンにおもねっていれば良いわけだからそこまでは考えなかった。でも初めて今のようなBtoCの商いをするようになってからは特定の人に尻を振っていればいいという状況では無くなった。今の規模で年間十万人の人に商品を通して自分の思いをどこまで伝えられるかというのはかなり大変なことだと思う。恥ずかしい格好をして尻を振っていれば投げ銭をもらえるという状況はとうに終わっているわけだ。 まだ書きたいことがある感じなんだけど一旦休憩します。