アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

ここにいて今の時間とつながっている自分と、ここにいないけど未来のどこかとつながっている自分。

格好よさげな人っていうのは割と地方にもいたりする。もしかしたらお洒落な雰囲気の人って地方の方が多いかもしれない。彼らは人間性というよりも服装や持ち物や生活に関わる消費で得られる何かがお洒落だったりします。まあでもみんながお洒落な人生を送ったり仕事に就けたりするわけではないので、お洒落にいる事が人生に潤いをもたらしたり、なんでしょうかモチベーションにつながっていたりするのでしょうか、とてもお洒落なのです。

そういう人って、その人が何かをしているわけではなくて何かをしている風な格好をしている場合が多いし、その人が何かを生み出したわけではなくて誰かが生み出した何かについての知識に詳しい場合が多いし、その人自身が有名なわけではなくて有名人の知り合いとか友達がいる場合が多いのです。彼らが好きなのは友達の個展、友達のライブ、友達の。。。。友達関係の何かだったりする場合が多いです。複数の友達コミューンの複合体が地方の若年層の社会なのかもと思います。友達を超えた距離や場所にいる口さがない他人の誰かから評される立場に立つ事はないでしょうね。常に友達の中の評価でつながっていき、コミューンの中での立場を築いていきます。

リアルの友達関係でも、ネット上のSNSでも、本当はリーチする範囲は狭いのです。その奥の知らない距離に本当の自分の評価が存在しているし、そこに立たないと得られない何かが存在しているわけです。漫然とそこに居続けるのが良いのか、そこじゃないどこかまでリーチする自分の何かを獲得するのが良いのか。そういう事を語る事は地方では無いのでしょうか。僕にはよく分かりません。10年前僕がまだ少し若かった頃も、10年後の今もそういう雰囲気というのは変わらないのかも知れません。たぶんここには未来は無いのでしょう。

友達という存在やつながりは手っ取り早い自分の肯定であり、それは大切な社会の第一層目の関係性なのかも知れません。ここにいて今の時間とつながっている自分と、ここにいないけど未来のどこかとつながっている自分のどちらを選択するかというのはやっかいな問題だと思います。ただ、情報が生み出されている現場から物理的に遠い場所で巣の中の雛鳥のように餌が運ばれてくるのを待つという安全な立場であり続けるなら、たぶんここはひどく空気の悪い濁った場所だなあと感じてしまうのです。おやすみなさい。