アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

あなたは知らず知らずのうちに物の価値や自分の価値を貶めている。

ちょっと用事があって上京していて、帰り際に最近のお決まりコースであるゆきちゃんが大好きなパンのお土産を買いに。

「ここは一つ一つのお値段が結構お高いからよく吟味して慎重に選ばないとね」と丸い目をパチクリさせ口から泡を飛ばしながら連れの女性に説明している。いわゆるパン好きと言われる典型的な女性客だ。連れの女性はプライスカードを読み直してトレイに取ったパンを棚に戻そうかどうか悩み始めているようだ。

「いらぬことを言うババアだな」

と僕は思った。おそらく連れの女性はこの店に来るのが初めてなのだろう、目を輝かせながらパンを選んでいたが、引率者の小太り女が言った「値段が高い」というキーワードを気にしてトレイにパンをとり辛くなっている様子だ。「値段が高い」というキーワードは、横並び思考の強い日本人の消費活動のマインドを一気に削ぎ落とす。

小太り女は丸い目をパチクリさせながら鼻息粗く店内を歩く。足音が「コストパフォーマンスを気にして毎日神経をすり減らしながら買い物をする私は賢い消費者でしょ、ねえそうでしょ、私はものすごくパンに詳しいの、私はパンにはウルサいのよ、私のお眼鏡に叶うパンはそうは無いわ、私の言う通りに選べば文化に疎い惨めなあなただって美味しい物が食べられるのよ」と言っているように聞こえる。安いのは良いことだと思う。僕も同じ物なら安い物を選ぶだろう。しかし、価値が違えば同じ基準で見るのは失礼というかそもそもおかしいと思うのだが。

この店のパンは一つが400円近くする物も多い。でも、素材の組み合わせのアイデア、工程数、焼き具合の見極め、全てにおいて全てのパン屋の数段上のレベルだ。そのへんで売られているパンだって最近は200円や300円近くする物も増えてきたが、この店のパンの半分の価値があるかどうかも怪しい。そのへんのパン屋のパンに100円プラスするだけで別世界を手に入れる事が出来るというのに、小太り女は「値段が高い」の一言で片付けてしまった。こういう勘違いパン好き女が本当の価値を貶めているのが現状だ。

雪崩を打ったようにパン屋が店内飲食に移行している。客からの要求があったり、店側からの積極的な提案だったり、と理由はいろいろあるかも知れない。でも客単価を上げるのがストレートな理由の一つ。シュトレンにしてもガレットデロワにしても、目新しい文化を海外から持ち込んで紹介するとき、いつもパン屋は少しでも単価を高くしたいと思っている。

パン好きの編集者やライターがメディアの中のパンという輪郭を形作る。そしてブロガーやSNSの中で評価や基準が形成される。その中で作られた「パン」という概念がスピーカーによって一般の客層に刷り込まれて行く。その仕組み、そのこと自体が良いか悪いかそれはどうでもいい。それは仕方が無い事なのだ。

僕はいま岡山に住んでいるが、岡山には卑しい人が多い。何でもすぐに値段を聞いてきたりする人が多い。それが恥ずかしいことだとは思っておらず、むしろ自分は賢い消費者だというのをアピールするのに余念がない。物の価値をお金で量る人は、根本的にものの価値が分からない。自分の中で比較する経験が少ないから恥をかきたくないためにお金の基準に頼る。それも別に悪い事ではない。ただ、お金の基準で価値を量るという行為は、知らず知らずのうちに物の価値や自分の価値を貶めている、ということを知っていても損は無いのではないかと思う。

僕はトレイにパンを満載してレジに向かった。お金が足りなくてカードで払った。僕は心の中でこうつぶやいた。

「プライスレス」