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アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

地域を売るというのは人を売るということ

アイデアのスープ

10年前だったか、当時カフェだったウチのスタッフが「ねえねえ、岡山に○○○○が来るんですって!岡山にも来てくれるんだ~♡」と言って喜んでいた。ミュージシャンだったか何かだったと思うんだが誰だったかは覚えてないが、岡山に来るというのはすごいことだったらしい。僕は音楽やそういうのに全く興味がないので誰が来るのかなんて関心が無かった。

「そのバンドはどこに住んでるの?」僕はスタッフに聞いた。

「そりゃ東京でしょ~♡」スタッフは返した。

「どうしてそのバンドは東京にいるの?」僕はスタッフに聞いた。

「だって東京じゃないとデビューできないでしょ」スタッフは返した。

岡山に帰ってから「○○が岡山に来るんだって、岡山すごい!」とか、「○○が岡山にもできるんだって、すご~い」というセリフを何度も聞いた。ミュージシャンだって金に困れば地方を回るし、有名チェーンでも大都市に飽和したらクソのような地方都市でも出店する。そういった残滓のようなコンテンツが自分の住む町にやってくることを若者たちは純粋に喜ぶ。それはどこでも同じだと思う。

「どうしてそのバンドは岡山にいないんだろうね」僕はスタッフに聞いた。

「あはは、岡山じゃ無理でしょw」スタッフは返した。

震災以来岡山に移住してくる人は増えた。それは災害が少ないという理由であったり、放射性物質の心配が少ないという、地理的要素が理由だったりすることが多い。ただこうしている間にも東京に出て行く地方の若者が多いのも事実。災害が少ないというネガティブな理由で移住してくる人と、災害が起こるかも知れないけど東京に行くというポジティブな理由。この差を僕たちはどう捉えたら良いのだろうか。

他所の著名人や有名コンテンツを岡山に呼んで喜ぶことは否定はしないが、そういうことに僕にはまったく興味が無い。鳥のヒナが巣の中でくちばしを突き出していれば誰かがどこかから東京コンテンツの劣化コピーを運んで来てくれる、というそういうただ待っているだけの生き方をしたことが無いから僕には彼らの気持ちが分からない。

地域を売るというのは人を売るということだと思っている。自然環境は人の手によって成されていない。地域の価値とはその土地に住む人たちがいかに考えたか、どれだけ汗を流したか、どれだけ古い因習に立ち向かって新しい価値の創造を勝ち取って来たか、にしか宿らない。岡山が自然環境だけで売り込もうとしているのを僕ら地域住民は恥じなければならない。そこには人の価値が織り込まれていない。コンテンツの創造を主として年月と努力で積み重ねた価値のミルフィーユが無い。そこに本当の価値があるのか。

近々、岡山から生まれるコンテンツにお土産で少し関わらせていただく。初めての試みだし規模も小さい。でも、純粋に岡山で生まれたものを世界発信するための布石にはなる。地域とは人だ。人はただ食ってクソして寝るだけでは無い。人には価値の創造ができる。価値の上に成り立ったものは時間より強い。地域を売るというのは人を売るということだ。そこには人の織りなす物語があり、何より強い絆と価値があるから。