アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

家族

いろいろと思い出したので少し。

去年の今頃、僕は入院していて、最終的に見つかった病気とは違うのだけれども、それでもいきなり仕事を離れなければいけなくなり不安であった。その後かなり深刻な状態の病気が見つかり入院や手術の準備をしながらも、自分が死んだ後にワイフが食っていけるようにと毎日寝ずに仕事をした。このとき残される家族というのは僕の中でワイフひとりのことだ。僕には血縁者は多くいるが、その誰とも数年は顔を合わせたことも無い。

母が精神的に不安定な人なのだというのは薄々感じてはいたけれど、小学生や中学生の身でそれを案じてもどうすることも出来ず、また、その当時は精神的に不安定だということがどういうことであるかを知らなかったために、自分の中で母を受け入れることが出来なかった。30歳を過ぎて僕がやっと手に入れた自分の家庭というものを、僕と血のつながった母と姉が引き裂こうとしたとき、二人とは絶縁状態になり、それ以来は口もきいていない。

父と愛人を並べて引きずり回したこともあるけど、今では愛人に感謝している。街で見かける父と愛人の姿は微笑ましく、僕の顔を見た時に顔が引き攣っているのを見た時には申し訳なさも感じた。愛人は金目当てだのと言われているが、父の晩年は幸せだったのだと思う。僕は父の葬式にも呼ばれなかったが別に何とも思わなかった。葬式に出るのが家族の条件ではないのだから。

今の僕にとってワイフの両親や姉妹や親戚が僕の家族であり、僕には血のつながった家族というのが無いのだと思うようにしている。血はつながっているけどお互いを不幸に引きずり込み合ったり家族であろうとしない人たちよりも、血のつながりはなくとも家族であろうとすることのほうが大切だと思っているので、そう言う意味では今の方が幸せなのかも知れない。僕が入していた時も、見舞いに来てくれたのはワイフやその家族、たくさんの友人たち、みんな血のつながりの無い人たちばかりだ。

いま友人の奥様が病気と闘っている。友人は仕事、育児、看病に奔走している。その姿を見ていると尊敬以外の言葉が浮かばない。僕は、彼らがただただ幸せであればと願っている。彼らは心でつながっている、僕は、彼らやその家族が幸せであればと願っている。どんなことがあろうとも、家族というのは幸せを求めるためにあるのだと思っている。彼らに神のご加護があらんことを。