アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

不易流行と諸行無常と兵どもが夢の跡

具体的にどことか何がとかいう話ではないんです。ただ、ここ五年、もっと十年とかのスパンである界隈を眺めていて、チャレンジャーは現れては消えていき、何時の世もその身を盤石の固きに置いた者だけが生き残ることが出来るという歴史の教科書のような物語の繰り返しだなあと思ったので。

ネットの普及というのは価値観の複雑化においては意味があったようにも思うけど、そもそも価値が複雑になる必要があったのかという疑問も感じてしまうのです。ネットが普及してアーリーアダプター的な人たちが増えたと思うんですよ。アーリーアダプターっていうのは極度のミーハーみたいなものだと思ってください。実際は違うけど。でもネットでSNSで新しい情報をいち早くシェアしたり、人より早く新しいものを手に入れて写真をFacebookやTwitterにアップする人たちは、十年以上前に言われていたアーリーアダプターよりもかなりの早さで流行にリーチできていると思うのです。

それで一部の尖ったというか、デザインに凝ったものが取り沙汰されて、それがウケるという事例が見られるようになって。ただ、それだけ、イケてるだけでは息が続かない。五年前に最先端だったものが、今は廃墟のような風情になってしまっていて、もう腐臭が漂うので誰も見向きもしないという惨状もあるわけです。古くてダサくなったものに「古くてダサいよ」とは声をかけないんですよね。ただそれが無かったことのように扱われるだけで。自分も数年前は熱狂していたのに、ダサくなるとその時間さえも忘れてしまう。今のオッサンが80年代アイドルを懐かしむようなそんなノスタルジーなんて無いんですよ。

何時の世もやはり普遍的な価値がそびえる強固な岩盤の上にしか時の流れに添う生き方というのは存在していなくて、流れる雲を追って気づいたらこんな所まで来たんだねえとかいうファンタジーなんて何処にもありはしない。すげえ尖っててシンプルでミニマルで和の精神を追求しているブランドがあって、そのフォロワーが雨後の筍のように出てきたけど全部消えていって、そりゃあどう考えたって収益はキツイだろうといろいろ調べたら、ブランドのオーナーが単なる土地持ちのボンボンだったという虚しい現実もあるわけです。

価値で動いているわけでもなく、道理で動いているわけでもない。まずは盤石な礎を築き、機に発し感に敏なる自己を形成していくしかないんだろうと思います。かつて活躍した挑戦者たちの勇姿に思いを馳せながらそろそろ休憩を切り上げて仕事します。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは言いますが、不易流行を旗印に果敢に市場に攻め入った猛者たちが諸行無常の露と消え、兵どもが夢の跡というよく分からないことを書いていますが、僕もまた死屍累々の荒野を歩んでいく一人ですので今後ともよろしくお願いいたします。