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アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

なんか知らんけど東京がオリンピックに向けて動き出しているという話。

アイデアのスープ

東京というのは地方のコンテンツや人や物やカネの集積によって成り立つ物量の輪郭だと思っていたし、実際にそういうものだと思っている人も多いと思うんですよ。なんで、地方のコンテンツ、地方の文化、その他もろもろ地方にあって優良なものはすべて東京に集められ、そこで一定の価値が付けられて、すこしソフィスティケートされてまた地方に還元される。という流れが一般的ではなかったかと。

そういう地方から東京への集積されたものが良くも悪くも洗練され、そしてそれが全国の地方へと還元されるサイクルが、いま少しづつ変わってきている気がする。たぶんきっかけは丸の内や日本橋の再開発などから再認識されている「江戸」という文化の再発見であったり、スカイツリーや地下鉄の再整備なんかみたいな「東京」の再編成であったりするんだと思う。

もしかしたら東京というものがあるんじゃないか、江戸というコンテンツを継承することが東京というアイデンティティにつながるんじゃないか、という期待が高まってきているタイミングで東京オリンピックが決まって、急速にオリジナルの東京コンテンツの整備が進んでいるような気もする。

地方が地方であることに価値をつけるために第◯次産業とか言い始めたり、地方にいても俺たちオシャレだろとアピールするためにコミュニティーデザインが乱立したり、そういう局所的で絶望的な地方コンテンツの再興が図られているんだけど、でもやっぱり地方はきしむ音を立てながら壊れていくし、やっぱ無理っぽいよねという空気は漂い始めている。個人は幸せになれても、地方というカタマリはやっぱり幸せになれない。

いろいろ見ていると東京オリジナルを作っていこうという雰囲気は濃くなってきていると思うし、でもやっぱ足りないから地方からのコンテンツの流入は止まらないんだろうなあとも感じている。なんか知らんけど東京がオリンピックに向けて動き出しているという話なんだけど、同時にそれは地方が練習場やら観光客やらの誘致に走るという、東京のおこぼれをもらおうとするワンパターンなダメな地方の人たちの終わりのない悲しい物語の一章が始まるというのに過ぎないなあと。

東京というのはなんだかんだと言っても、おこぼれが出るほどに溢れていて、そのおこぼれに頼って尻尾を振っている地方の沈滞は地方自らの今までの怠惰が原因なんだから、まあ、これからの商売のやり方もよく考えんとねということです。おはようございます。