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アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

自分事と他人事

西山さんのお店のオープンを肌で感じようと京都に行き、帰りにそのまま京都で大好きな肉を食い、珍しく岡山駅から徒歩で帰ってたら平田さんを見かけて、そのまま飲んでいたんです。奇しくも二人ともお店をたくさん出している人なんですが、お店をたくさん出しているからスゴイというのではなくて、そういうことを言いたいんではないんですよね。

西山さんは京都にこの大丸京都店でで三店舗目、東京にも新宿丸井やタケオキクチ旗艦店にもお店を持っている。平田さんは岡山に数えきれない店を持っていて、バンコクにも店を出している、次はヨーロッパらしい。

尊敬する二人の人物に一日のウチで会うという珍しいことになり、ふと気づいたのは僕がリスペクトする人というのは、みさなん自分のことをやっている。自分のことというのは自分の仕事なのか、自分の何なのかわからないけど、とにかく他人のことをしていない。

逆に、他人のことばかりをしようとする人たちもいて、そういうひとは何一つ結果を出せていなかったりする。他人のことをするのが自分のことだと思ってる人もいるかもしれないけど、そういうのを僕は「おこがましい」と思っている。他人のことを完全に満足にできるような超能力を持っている人がいるとは僕は思えない。

他人のことや地域のことや、そういうことなんて他人がやればいいし、地域がやればいい。でも地域って他人の集まりでしょ、と思うかもしれないけど、自分のこと以外をやってる人って、別にやらなくてもいいことばかりやっているように見える。みんなが自分のことを高いレベルでやれば、それが結果として大きな束になるような気がしている。でも、そういうことを言う人はいない。

まあ、他人のことや地域のことをするのが根っから好きならやればいいと思うけど、たぶん結果は出ないと思う。でもそういう人たちは他人や地域のことをやっている自分が好きだったり、そういう自分以外の、自分に責任を問われないことに逃げていて、結果を出さなくても心が満たされるからなんじゃないかと思う。結果を出さなくても食える人に、結果を出す能力は備わらないんじゃないかな。

いつだって結果を出しているのは自分のことをやっている人だけだと思う。

そういう人がどれほどの人数いるのかが、その街の、その地域の、その国の価値を決めるのであって、いつかはあれをやりたい、いつかはこれをやりたいと言うばかりで、出来ない言い訳をするような人が多いほど、その街やその地域やその国の価値は低いんじゃないかと思う。

良くも悪くも、すべては結果によって判断されるべきで、青写真ばかりを振り回して「夢は叶う」とか言い続けて年をとる人が多ければ多いほど、人の世の不幸が増えていくんじゃないかな。自分事と他人事をきちんと心のなかで分けて考えられる人だけが、自分にも他人にもいい影響を及ぼすような気がします。

とまあ、そんなことを考えた一日でした。

仕事します。