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アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

僕の人生を変えた、洋子先生のお言葉。山口洋子さんの「お別れの会」に行ってきました。

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日が経ってしまいましたが、先月、ホテルオークラ東京で開かれた山口洋子さんの「お別れの会」に参加させていただきました。

山口洋子さん(僕らは洋子先生と呼んでいましたが)は、東映ニューフェイスに選ばれたけど、ほどなく女優をあきらめ、銀座にクラブ「姫」をオープン、各界著名人が集う「姫」は銀座の高級クラブの草分けとも言われていました。

その後、作詞活動を開始。五木ひろし「よこはま・たそがれ」、中条きよし「うそ」、石原裕次郎「ブランデー・グラス」などをヒット曲を送り出し、小説の創作活動を始めると『老梅』で直木賞を受賞するという才女。

お別れ会にも各界の著名人の方々が大勢来られていました。

 

そんな会にどうして僕みたいな田舎の饅頭屋が参加させてもらったか、とてもつながりが想像できないと思いますが、実は今から17〜8年前、僕がまだ東京にいた頃、毎日のように通うカフェで洋子先生と知り合い、それから僕が岡山に帰るまでの1年半の間、洋子先生と僕はおしゃべり友だちだったんです。

何を話してたか、たぶんどうでもいい話ばかりしてたと思います。僕がどこかに行って何かヘマをした話をすると、先生は「面白いわね〜ふふふ」とか、僕は今こういうことを考えてるんだけど、先生どうかな、みたいな話をすると、「あなた、それ、おやりなさいよ」とか、相槌のような答えを返してくれます。

洋子先生は病気の療養中で、カフェの隅の席でゆっくりと時間を過ごされていたんですが、そこに僕がたまたま居合わせると、僕は先生の方に席を変わり、ずっと身振り手振りで一生懸命話していたのを思い出します。

まあ、得体の知れぬ若い男が口から泡を飛ばして一生懸命喋るもんだから、いつからか先生は「あなたの顔を見るだけで笑いが止まらなくなるのよ」と言って、げらげらと笑っていました。

 

そんな毎日を過ごしている中で、僕は僕の人生を大きく変える一言を洋子先生からいただくことになります。

 

僕は若いころ本当に何をやってもダメな男で(今もそうだけど)、洋子先生と時間を過ごさせていただいた時期も、どうにかして人生を変えようと悩み尽くしていた時期でした。ミシンを買い込んで服を縫って、当時少し流行った個人のクリエーターの作品を販売する店に販売を委託してみたり、はたまたパソコンを買って当時は珍しかった3DCGやウェブサイトの制作を独学で始めてみたりとか、どうやって生きていくのか悩んでいた時期でした。

それまでやっていた仕事といえば、渋谷のラブホテルの掃除やシーツ交換、運送業やその他いろいろ、もう、何をしたらいいのか、どうしたらいのか、まったくわからない暗夜行路のようで、生きるために必要な三半規管が狂ってしまって平衡感覚を失っていたような時期です。

僕はあるとき先生に言いました。

 

洋子先生、僕は、いままでクソみたいな生き方をしていたんですよ、ラブホテルの掃除なんて、他人のお楽しみの後の片付けしてさ、僕は虚しくなって、で、どうにかしようと大学に行くことにしたんですよ、だから先生、僕はこれを機に自分の人生を変えようと思って、僕はインテリになろうと思うんですよ。

僕はね、いままでは畳の六畳間の万年床で生活してましてね、そういうのがイケないんじゃないかと思ってね、僕は引っ越してすぐに椅子を買ったんです。僕は椅子に座る人生を送ろうと決めたんです。

椅子はリクライニングするやつですよ、ほらこうやって背中を後ろに倒したら、なんだかインテリっぽいでしょ、最近パソコンを買って仕事なんかもちらほらいただけるようになってきて、そういう仕事って難しそうで、なんだかインテリになったんじゃないかと錯覚するんですよ。

それにね、先生。僕はそれまで安物のTシャツばかり着ていたんですけどね、これからは襟のついたシャツだけを着るような男になろうと決めたんです。

最近ね、ブルックスブラザーズのオックスフォードのボタンダウンシャツを買ったんですよ。なんだか英語が並んでてカッコイイでしょ。どうして僕は太っているものだからキツくてね、そのシャツの縫い目をほどいてバラバラにしてね、ひと回り大きなパターンを描いてね、自分のサイズに合ったシャツを縫ったんですよ。

ブルックスブラザーズでもバーニーズニューヨークでもユニクロでも何でもいいんです、襟付きのシャツを着て椅子に座る生活をしてたらインテリっぽいでしょ。僕はもう昔のような負け犬になりたくないんですよ、僕はインテリになって、そういうふうに生きて、そういう風な仕事をして、そういうふうな男になろうと思うんですよ。

ね、先生、どう思います?

 

洋子先生は僕の話を「うんうん」と相槌をうちながら聞いてくれて、その後、優しい眼差しで僕を見てこう言いました。

 

あなたはもう立派なインテリよ。

 

何の事ないひと言かもしれません。でも、いままで数々の人物を世に出し育ててきた洋子先生の言葉には重みがあって、というか、この人はこういうひと言で男を、それまで子供だった男の子を一人前の男に仕立てていったのではないかと思うんです。

言葉の重みとか、その言葉を信じて胸にしまって生きていく糧にできるかどうかは、その言葉が誰に言われたか、言った人物がそれまでにどんな生き方をしてきたか、だと思うんです。

僕のその後の人生は失敗続きだったかもしれないけど、でも、自分を疑ったことがないのは、洋子先生からいただいた数々の言葉があったからこそだと思うし、自分に自身が持てなくなった時、洋子先生との会話の中で出てきた言葉が僕を支えてくれています。

 

思ったことを、なんでもやればいいのよ。

 

僕は26歳のとき岡山に帰ってきて、それ以来ずっと守っていることがあります。それは、思ったことは必ずやる、そして時間がかかっても必ずやり遂げる。

決して他人の人生を生きるのではない、誰かの真似をしたり、誰かを羨ましがったり、そういう生き方ではなく、自分の心の中で生まれた、自分にしかできない生き方をまっとうすることが、あの頃、便所虫のような僕の人生に、変われるチャンスをくださった洋子先生に報いるたった一つの恩返しなのかもしれないと、そう思うんです。

 

僕の生き方、仕事や考え方、めまぐるしく変わっていっているような気がします。でも、芯の部分は変わっていない。それは、東映ニューフェイスに選ばれ、女優をあきらめ、銀座にクラブをオープンさせ、作詞家として次々とヒット曲を生み出し、小説家としても直木賞を受賞した、洋子先生の生き方そのものを僕は見据えているのかもしれない。

どんな仕事をしても、自分からブレない。そういうのを、頭で考えずとも、そのように生きていけることが出来るのも、洋子先生と過ごした時間が僕の心の中に生き続けているからかもしれないです。

 

洋子先生、僕の中で、ひとつの区切りがつきました。でも、今の僕を見て、もう一度、先生に聞いてみたい、僕はインテリになっているでしょうか。でも、その答えは、もう聞けない。これからの生き方で見てもらうしか方法が無い。

 

作家、作詞家、そして銀座の高級クラブママという三つの顔を持ち、昨年9月に77歳で亡くなった山口洋子さんの「お別れの会」が28日、東京都内のホテルで開かれた。

虚飾を嫌った山口さんらしくシンプルな祭壇ながら、約300人の参列者は昭和を代表する各界の豪華な顔がそろった。弔辞は、文壇から伊集院静さん、スポーツ界から元プロ野球監督の権藤博さん、歌謡界からは平尾昌晃さん(歌手の中条きよしさんが代読)。また、五木ひろしさんが山口さん作詞の歌を“献歌”した。

会に湿っぽさはなく、あちこちで談笑の声が上がり、山口さんの温かな人柄をしのばせた。【川崎浩】

毎日新聞 2015年01月28日