アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

店は無くなるが、人はこの先も生きていくし、意思はその先も残る。

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近所にある喫茶店が明日で店を閉める。

 

僕自身も今に至るまでに二つの店を潰してきた。

 

岡山で一店舗、都内の高円寺で一店舗、それぞれに意味があって店を出したが、岡山の店は出店の意味が見出せなかったためにオープンから半年も経たずに閉店させた。

 

高円寺の店は三年間続けていたが、全国の百貨店催事やDEAN&DELUCAへの商品の提供という予想以上の結果を出し、後半の店自体の売上は芳しくなかったが、今につながるPRという大役を終えたと判断し、岡山駅への出店のために閉店させた。

 

僕にとっての「店」というのは、事業を進めていく上での陣のようなもので、敗戦濃厚と判断するや風のごとく陣を放棄して撤退し、戦果(結果)が出たら次の事業転換に向けて速やかに陣をたたむ、そういう考え方で出店をしていた。

 

僕の中で店を増やすという事業展開は白兵戦と見ていて、向かう先は兵力(経営資産)と陣(店)の果てしなき増強だと思っていて、それは僕の仕事ではないな、と自分の中で納得してからは、店という存在を折りたたみ式の要塞ぐらいにしか考えなくなった。

 

今の僕の事業についての考え方は、体力をともなう白兵戦において最強を目指すのではなく、最新の兵器(商品)を開発しつつ、精度を高めた兵器で遠隔地から敵地を狙う戦略をとっていて、そこにおいては販売店は同盟国の要塞であり、直営店は撤退が容易な自軍の陣という位置づけでしかない。

 

小さな会社だけど、一瞬の判断の迷いが命取りになる。そういうのは若い頃からいろいろと事例を見ていた。だから店をたたむのに躊躇がない。というか、迷ったら閉める。

 

店っていうのは必ず閉店する。よっぽどの老舗で、今に姿を残すお店でも、創業した当時にあった他のお店はすべて無くなっているはずだ。そういうものだ。

 

しかし、店を閉めたとしても、人はその先も生きていくし、意思は残り続ける。店というのは場所であって時間ではない。そこで過ごした時間は過去のものであって、もう存在していない。店とそこで過ごした時間は記憶の中だけで生き続ける。

 

今より先の時間の中に何が待っているか、それは誰にもわからない。もし、店を閉めたとしても、店をやろうと思ったときの考えは生き続けていき、店以外の何かに姿を変えて、もしかしたら大輪の花を咲かせるかもしれないし、店を閉めたことをきっかけに、また別の生き方を始めるきっかけが生まれるのかもしれない。

 

最初に書いた近所の喫茶店。よく通ったし好きな場所であったので、閉店するのは少しさみしいけど、でも、僕もまたその店が無くなった後も普通に生きていくし、店を切り盛りしていた人も、新たなステージに進んでいく。

 

店とはそういうものだし、何か以上のものでもなく、何か以下のものでもない。

 

最初は映画をつくろうという話だったんだけど、ちょっと短編のムービーを作ってみた。ウチの会社の近所に、こういう喫茶店があった、ただそれだけ。

 

 

 

仕事の合間の息抜きとか、打ち合わせとか、考え事とか、ときには、ほとんどオフィスみたいに使っていた店。

珈琲 Lyoba(旅場)

今月末で閉店。

お店っていうのは、いつの間には始まって、知らぬうちに閉めてしまうもの。

閉めてしまって、時間が経てば、ああ、ここ昔なにがあったか思い出せない、という、なんだろう、さみしさというか、はかないというか、そんなおおげさなものじゃないけど、心に隙間ができてしまう。

お気に入りのお店が閉まって心に空いた隙間は、また別の何かが埋めてくれるのだろうけど、その時にはもう戻れないし、べつにその時、そこで過ごした時間に戻る必要も、本当は無い。

お店ってそういうものだと思う。だから、こういうお店があった、という、そういう何かを作ろうと思った。


珈琲 Lyoba(旅場)

主演 くりはら しをり (本人役)
珈琲店watermark 店主
http://triology.blog.fc2.com/
https://www.facebook.com/shiwori.k

常連A 山田 修作 (国際交通)
常連B 森山 幸治 (サウダーヂな夜 岡山市議会)