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アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

木から紙へ、紙からデジタルへ。平安と平成をつなぐ大祓の様式について。

神社 大祓 人形 神事

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平安時代の木製の人形(ひとがた)を復刻した。

 

人形は形代(かたしろ)ともいう。大祓の神事には欠かせない人形、罪や穢を遷して祓い清めてもらうための身代りとなる。過去には木簡に名を記して軒下や土中に埋め、のちに紙でしつらえて名を記し川に流すようになり、時代が変わり紙の形代に名を記して浄火で炊きあげるようになった。木から紙へ素材の進化があったり、環境への配慮があったり、罪や穢を祓い清める方法は時勢によって変化するが、その考えや風土に生きるものとしての神への畏敬は変わらない。木製の人形であれ、紙製の人形であれ、神事そのものの在り方がねじ曲げられたわけではない。

 

「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった。」

- ヨハネによる福音書1:1

 

神道とは違うが、新約聖書に書かれた一節。

 

「はじめに言葉がある」

 

これは人種や国や宗教を超えて同じことが言えるのだと思う。キリスト教では聖書があり、イスラム教ではコーランがあり、仏教では経典がある。神道では祝詞があり、詞を奏上し、授与品の御札や御守には文字が書いてある。大祓の神事に用いられる人形には、自らの氏名や年齢、性別、干支などを書き記す。これも「ことば」や「文字」がなくしては成り立たないことなのだと思う。この世界においての融和はすべて「ことば」で成るのではないかと僕は考えている。

 

この世界共通の「ことば」を伝えるために存在していたのが、木簡や紙という、いわゆる古代から近代現代のメディアというものではなかっただろうか。「ことば」を書き記した「もの」に対しての考え方は宗教によって異なる場合が多い。しかし、具現としてある神祭具よりも、「ことば」がもっとも重要だという考え方においては共通ではないかと。

 

御札は英語でTabletという。僕は考えている。日常で一番多くの時間を費やすスマホから罪や穢を神社に送信する可能性もあるのかもしれない。「ことば」を伝えるメディアは木から紙へ、紙からデジタルへ、僕はそういう思いで新しいWebサービスをつくった。「おおはらえ」だ。

 

oharae.jp

 

大祓という神事を通して、木から紙へ、紙からデジタルへ、時代の変遷をこの手で作り、この目で見届けたい。平安時代と現在の平成の世を結ぶ、ただひとつのファクト。それが「ことば」だという揺るぎない確信がある。

 

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手のひらに収まるメディアによって、「ことば」は流通し、それがいま、存続が危ぶまれる地方の小規模な神社を救う手立てになるかもしれない。過去には木であったメディアが、文明の進歩によって紙のメディアとなり、そして平成の現代ではデジタルメディアになる。この流れに否という向きは多いと思う。しかし、そうやって平安から現在まで、日本の文化は守られてきた。

 

僕はプレスリリースでこう書いた。

 

古来から日本には神社と氏子という関係からなるコミュニティが存在していましたが、地方の小規模な神社では人口の流出や高齢化による氏子の減少や後継者不在、歳入不足で維持が困難となったところも多く、イベントなどで一時的な集客を図るも、肝心の神事への理解や参加が不足しているために持続が困難なのが実情です。ナショナルデパートは、氏子や崇敬者にもっと神事に親しんでいただく必要性を受け、神社の祭や周辺デザインを総合的にプロデュースし、費用を支援することで、小規模な神社の維持継続のロールモデルを目指しています。

 

prtimes.jp

 

いよいよ大詰め。  

総社宮と宮司がシャシーなら、禰宜はボディー、僕が暴れ馬のエンジン。

 

風除け雨除けになってくれている禰宜は、これからいろんな批判に晒されるかもしれない。でも、竣工祭を経て、今後何をすべきか、他の二歩も三歩も先に行かないといけないと感じた。大きなイベントを成功させたからこそ分かった、イベントに頼らない、という正道。神社は神事を行う場所。神と人々とのなかとりもち。

 

最先端のことをやりながも、平安の文化を根底に宿す。これこそが、我々の考える神社の新しいかたち。

 

でも、サードウェーブ神社とか呼ばないでね。

 

でも、サードウェーブ神社とかオシャレ感満載ですな。

 

サードウェーブ神社、けっこう気に入った。