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アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

毎日が楽しい。

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作業の予定が1日延びたので、ちょっと。

ここのところ毎日が楽しい。

新しい事業の準備も着々と進んでいる。プロモーションの準備、制作物の進捗、出稿の手配、Webサービスのプレスの準備、イベントの準備、いろいろなことがここ1ヶ月でかなり進んだ。あとはリリースの時を待つだけ。連日寝ていないけど、それでも少しずつ作業が終わり、ToDoにチェックをつけていくのは、プロジェクトをやっている身として嬉しい時間だ。

 

でも、さすがにワイフが心配になってきたらしい。1円も金が入ってこないのに湯水のごとく予算を費やしてる。支払いは数百万たまっている。払うキャッシュなんて1円も持ってない。口座は空っぽ。ワイフの結婚前の貯金も全部支払いに消えた。残ってるのはクレジットの与信枠20万だけ。新しい商品が売れる保証なんて無い。新しい事業が当たる可能性なんて全くわからない。ローンチ後すぐに売上が出ないと、会社をたたむか、家を売らないといけない。そういう状況だ。

でも、なんでこんなことをやっているのかというと、自分ではチャレンジしてるというつもりはなくて、ただ、一度、すっきりさせたいと思っていただけなのかもしれない。新しいことを始めようとしている自分と、過去を全部終わらせようとしている自分がいる。

おとなしく「ももたん」だけをやっていれば、ちょっとは裕福な生活ができるのに、どうして自分の首を自分で締めるようなことをしたのか。

二年前の病気以来、ただ生きることさえも面倒臭くなっている自分がいる。あのとき死ぬチャンスだったのを、神様が僕を生かしてくれたんだけど、ただ、自分がいまこうやって生きている意味が自分でまったく理解できていない。

母の一周忌までに新しい事業を始めようという目標は遂げることが出来る、この事業は亡き母に捧げる墓標だ。

タバコ一箱買うのにもサラ金で金を借りなくてはいけない。そういう生活の中で得られるものなんて何もない。だけど好きでやっているような気もする。だから毎日が楽しいのだと思う。

自分の病気が見つかって2年半、母が亡くなってもうすぐ1年、この間に僕はどれほどのことが出来たというのだろうか。大したことなんてやってない気がする。1年も2年も生きていて、大したことも出来ない自分に、あまり価値が見出せていないような気がする。

ただ、最近は毎日が楽しい。

楽しければいいじゃない。そう思うようになった。岡山に帰って来て、これほど楽しい時間を過ごせたことはない。仕事自体は今まで経験したこと無いほど大変。でも毎日が楽しい。だから、いままで苦しみながら続けてきたことに、区切りをつければ、次の自分の居場所に素直に行けるような気がしているだけなのかもしれない。