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アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

経営者のトモダチはみな経営者だ

先日はパン屋さん業界のパイセンがわざわざ訪ねてきてくださって、喫茶店で5時間もおしゃべりしてました。

パイセンは私の人生の節目節目で声をかけてくださって、場に呼んでくれたり、会って面白いお話しをしてくれたり、直接の支援をしてくれたり、パイセンと一緒にいるところに運命を変えるような一報が入ったりと、年に数回会うか会わないかという関係ながら、本当に人生のポイントで登場する大切な人です。

そんなパイセンが人生の節目に差し掛かっているやのお話しは以前からお聞きしていたんですが、いよいよ大きな転換期に入るのだということを聞かされ、どうなるのだろうかと私も内心穏やかではありませんでしたが、それでもやはり自らの手で切り開き、多くの支持を集めてやってこられた方というのは、どんな苦境に追い詰められようとも世の中が放っておくわけがなく、私なんかの心配する幕ではないほどの引き合いがあるようで、さすがパイセンすげえな、と思ったりしました。

 

会社やお店をやっていると必ず困難な状況というのを味わうことになります。すべてが順風満帆にいくというのは人智を超えた恵まれた環境にあるのか、もしくは鈍感力はズバ抜けている人に限られてくるでしょう。

経営者というのは浮き沈みを前提とした生き方であり、結果の如何にかかわらず口さがない連中の酒の肴にされて消費される運命にあります。上手くいけば腐され、下手を打てば腐され、どうなろうとも褒められることの少ない生き方なのではないでしょうか。

同じ経営者として末席に着かせてもらっている者として、パイセンとお会いして情報交換をするのをとても楽しみにしていて、上手くいったことの分析や下手を打ったことの原因などなど、茶飲み話にとどまらない有意義な時間を楽しませてもらっています。

 

経営者というのは孤独な生き方であり、SNSが一般化した今ではうわさ話の格好の餌食となっています。あの会社潰れたってよ、あのお店閉店したってよ、他人の放言というほんの数文字の中に、経営者にとっては壮絶なストーリーが詰まっているのですが、無関係の人からしてみたら他人の不幸は蜜の味であり、ただ面白がって腐したりする程度の酒の肴かもしれません。

経営者どうしの交友というのは、情報交換であったり、困難に立ち向かうお互いを鼓舞する戦友であったり、上手くいけば美味い酒を酌み交わし、下手を打てば生きてるだけマシだよと通夜のようにしょっぱい酒を飲み、ときには出資や買収などの金銭的な援助も発生するという不思議な関係です。サラリーマン同士の関係とは少し違うわけです。

たとえば取引先が倒産した場合、サラリーマンなら「あの会社、逝っちゃいましたね」で終わる話かもしれませんが、経営者は売掛金をかぶってしまい実損害が出ます。同じ事象でもサラリーマンと経営者では影響が異なるわけです。

 

経営者のトモダチはみな経営者だ

経営者のトモダチが経営者に集約してくる理由は、形態や規模は違えどもやはり同じ道を歩んできた同志という目に見えない連帯があるのだと思います。

大きな会社のサラリーマンからしてみれば、ビジネスの規模の小さな会社の経営者なんてつまらない生き方に見えるかもしれません。同じ金額を見ても、大手に勤めるサラリーマンと小さな会社の経営者では受け取る感覚が違います。

でも組織の中の一つの機能として結果を出すことと、結果を出す組織自体を作り上げることでは、まるっきり意味が違います。失うリスクを背負いながら前に進むという感覚は経営者にしか分からない事なのかもしれません。

経営者のトモダチが経営者に集約されていくのは、いまは大きな会社でも最初は小さな会社から始まったという共通のストーリーがあるからで、サラリーマンには理解し難いリスクを背負った者にしか分からない、特殊な「情」というものがあるからです。