アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

よく行く喫茶店。

男は誰でもお気に入りの喫茶店を三軒は持っている。いないかもしれないけど。

 

僕の場合、コーヒーを飲む場所は三箇所ある。

 

ひとつは近い店。

 

ふたつめはガキの頃から通う店。

 

もうひとつは日常から離れる店。

 

 

どうして喫茶店なんだい?カフェじゃないのかい?という向きもあろうかと思うが、甘ったるいホイップクリームの乗った下水の汚水みたいなものをプラスチックの容器に詰め、フォアグラを取り出す鳥の餌のようなものを体内に流し込んで笑っている女子供や、店内でMacを開いて何をやっているかよくわからないけど意識高い人たちが行くのがカフェであり、盆に小鉢が並んだ体に優しいおかずと雑穀米を食ってるブサイクや、殺人的に臭い業務用のチーズが焦げたすえた臭いのするドリアを食ってる田舎娘が、カフェの客ということを考えると、そうじゃないのが喫茶店であり、そういう人たち以外が喫茶店の客ということになる。

 

喫茶店は店側も客も年齢層が高い。主な会話は常連たちが飽きもせずに毎日繰り返す孫の話と他人の悪口だ。たまに週刊誌やスポーツ新聞、ミヤネヤで出てきた話題も取り上げられる。高齢者は他人が病気になる話題や、熟年離婚、他人の失敗などの話題が大好物だ。そういう他人のネガティブな話題によって、自分は幸せだということを確認する場であり、自分がいかに幸せかをアピールするアナログなSNSとしての場であるのが喫茶店だ。

 

もちろんコーヒーはうまい。食事を出していない店のほうがコーヒーはうまい。軽食はもちろん用意している。トーストかサンドイッチだ。あんみつなんてのもあっていい。それ以外、たとえば、くだらない小鉢が並んだランチや、おしゃれなパスタなんて論外。スパゲッティならまだ許せるが、パスタはダメだ。言葉の意味は近いし同じだが、ニュアンスが違う。このニュアンスの違いが分かるかどうかが、カフェに行くサードウエーブブサイクか、喫茶店に通うくたびれた客かの違いだ。

 

これを読んで喫茶店に行こうなんて思うやつはいないと思うけど、喫茶店に行くなら注意しておいて損のないことが一点ある。嫌煙者、非喫煙者は喫茶店に行っちゃダメだ。喫茶店は、汚水にホイップクリームをのせたドリンクや小鉢が並ぶランチは無いが、その代わりにタバコが吸える。普段はサードウエーブ風を吹かせてすました顔をしている連中も、喫茶店では少数派だ。おまえらはマイノリティだ。ここでは世界基準や世間の風潮は関係ない。これはよく覚えておいて欲しい。

 

僕には週三回くらい行く店がある、名店ダンケだ。

ここではワイフと一緒にモーニングをいただく。トーストに塗られているのはマーガリンではなく純バター。有塩というところに心意気が感じられる。ゆでたまごは殻を剥いてくれている。この心遣いは客層が高齢者である喫茶店ならでは。サンドイッチは野菜が多め、塩分は控えめだ。こういう店主の細かな心遣いが身に沁みる店。

朝はモーニングを食って、昼は仕事の打ち合わせで使い、夕方はひとりで考え事をしに来る。一日三回使うときもある。

最近知ったんだが、ここは数十年前、親父が毎日通っていた店らしい。愛人とも来ていたんだろうか。それはもう知る由もない。

 

そしてかれこれ30年近く通う店。それがモカ。

最初は親父に連れてこられたんだが、それ以来この店に通っている。店主はオーディオマニアであり、常にダジャレを機関銃のように打ち続けるおしゃべりさんだ。サンドイッチはホットサンドが出てくることもある。中からドロっと出てくる熱せられたトマトに、昭和の熱いリビドーを感じる。

ここは自家焙煎。とはいっても、昨今の意識高い系のロースターではなく、すでに製造中止となった小型のテストロースターを駆使して焼いている。焙煎機を買ってから使い方がわからずコンサルを呼ぶようなサードウエーブな連中とは違う。結果を求めるために手段を選ばない。荒手の焙煎家。それがモカ。今日もモーニングを食ってきた。

年中無休で正月もやっている。ただし100円増しだ。

 

日常から離れたいならここ、bollard。

喫茶店ではないが、家から遠い場所でコーヒーが飲めるのは助かる。しかも海から近いので、ちょっと行けば宇野港で船を眺めて時間を過ごすことができる。

僕にはどこかに出かける理由がないので、ここに行くという理由を作って出かけるようにしていた。店にはシャレオツな日用品が並び、財布の紐が緩むが、出かける前にワイフから「家にあるものは買わんよ」と釘を差される。そういうときは現金を持たせてもらえないから、そっとクレジットカードを持っていくようにしている。

 

コーヒー豆を買うのはここ。カエル。

仕事が詰まってくると家でも死ぬほどコーヒーを飲むようになるので、豆の補給は大切だ。どうしてここで豆を買うのかと問われれば、それは好きだからとしか言いようが無い。他を謗るつもりはないが、肩に力が入った店や、コンサルに騙されたような店や、サードウエーブな店の豆は、開封した時の香りから、店主がどうしたいのかが伝わってこない。

僕が求めているのは、つくり手がなぜ、どうしてこれを、こういうふうに仕上げたか、それが結果として伝わってくるかどうか、その一点でしか見ていない。

あまりコーヒーの難しいことはよく分からないから、ここの店主が標榜しているように、「普通に入れても美味しく飲める」という日常の中のコーヒーというスタンスが、僕には合っているのかもしれない。

今日も買ってきた豆を挽いて飲んでいる。また買いに行きます。

昭和の昔は、サラリーマンが昼飯を食った後、喫茶店で一服していたらしい。余裕があって良い時代だったのではないかと思う。コンビニでサンドイッチの袋を持って機械から出てくるコーヒーを持ち帰る姿を見ていると、そう思う。

 

 

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