アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

器用貧乏と不器用貧乏。

忙しい時ほど筆が進む。

忙中閑あり。

ここ数年、かなりの人から「器用貧乏」だと言われるので、僕なりに解釈した器用貧乏について書いてみる。

 

器用貧乏という言葉があって、使い方は人ぞれぞれ。

器用に何でもこなすけど、お金にならないよねえ、という意味で使われることが多いかな。

 

不器用貧乏という考え方

対してあまり言われない言葉、というか、そうは言わない言葉で「不器用貧乏」があるのではないかと思ってる。とくに何かを極めたわけではないけど、あの人ってそこそこ食えてるよね、という状態。まあなんとか食えているギリギリの状態が「不器用貧乏」なのではないかな。勝手に造語してるけど。

 

僕個人の考えだと、何かひとつを極めると、他のことの仕組みが見えてしまって、何でもある程度までできてしまうという状態がある。僕の中ではこれが「器用貧乏」という言葉の意味だと捉えている。

だから、「器用貧乏」というのは僕の中で、いろんなコトがデキる人、というよりは、何かに対して少なくともひとつは極めている状態で、経験において自分だけのメソッドを確立した結果、他のあらゆる局面においても成果を出せるというひとつの職能ではないかと。

 

これはコンサルティング的な考え方だけど、たとえば、全く異なる仕組みのAとBという業界が存在しているとする。A業界では常識として行われている「メソッド」が、B業界ではまったく行われていない。A業界のメソッドをB業界に持ち込むことで、B業界において他社より優位に立てる可能性が見込める。という状況があるとする。

 

たとえばこんな感じ

僕の仕事を当てはめると、まずデザイナーであった、そしてパン屋を始めた、続いて饅頭屋を始めた。という前提で見てみると。

デザイナーであったときのメゾッドをパン屋の経営に活用して、今までのパンの文脈に無かったものを生み出した。そして饅頭屋を始める時に、デザイナーとパン屋の両方のメソッドを饅頭の製造に組み込んだ。これによって饅頭として優位に立てた。という流れ。

そしてここ数年は、饅頭製造時に発見したノウハウを製パンに組み込んでいる。これで他のいかなる文脈にも当てはまらないオリジナルのやり方を作ることが出来て、今後はさらに複合的な仕組みを築いて自分だけの経営スタイルにつなげていこうとするやり方。

なので、器用だけど貧乏、という言葉の額面通りの解釈ではなく、複合スキルというよりは、ただひとつの自分だけの「やり方」を見つけ、それを応用して複合的な成果(物)を生み出すのが「器用貧乏」という職能の説明としてふさわしいのではないだろうか。

21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由

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では不器用貧乏とは何か

僕の中で「不器用貧乏」な人というのは、まず大前提として、ひとつのことを極めた経験がない、職能として熟達者ではない状態。他者と決定的な差別化ができるまでのオリジナルのメソッドが完成されていない状態を言うのだと思う。

「不器用貧乏」な人はオペレーション業務に関しては人並みにこなすことができるが、考察や検証を含む業務ができない。自分の中の「やり方」が完成されていない場合、あらゆる局面で疑問が生じてしまう。それは「当てはめる」基準を有していないから、とにかく、ひとつひとつの事象において答えを出すことが出来ない。

これは業務遂行能力とパーソナリティーを分離できていないのが原因だと思う。好きか嫌いか、向いているか向いていないか、で判断している段階なのかもしれない。これをこじらせると「不器用貧乏」になるのではないか。

 

どっちが良いのか

まあ、どっちでもいいと思う。

何かを作る上では、これはプライドの問題だと思っている。これは自分の本当の仕事ではないと防護壁を築いて自分を守ろうとすると、なんのスキルも身に付かないまま時だけが過ぎてしまう。何でもこなして初めて一人前という、下積みの知恵の重要性が今問われる時代なのかもしれない。

なにかミスをしても、「こうしました」というのと、「こうなっちゃいました」というのでは意味合いはまるで違う。

 

結果のみを追い求めるなら、能力を磨く必要はない。

自分の中でしか語れないオリジナルの思考にたどり着くための旅をしていると考えれば、その旅の途中に成功や失敗があると思うことができる、そして数々の困難をいとも簡単にくぐり抜けて、自分だけのスタイルを実践して生きていける喜びというのを味わえるのは、器用貧乏にしかできない生き方なのではないかな。

 

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