アイデアのスープのレシピ

ナショナルデパートが作られる現場のレシピ

じゃあ、おまえは他人を裏切ったことがないのかと問われれば、こう答える。

ちょっと思い出したのでメモ。

他人が二人以上集まればそこに社会が生まれるわけです。

人はそれまで生きてきた中で見聞したもの、経験したこと、そのさまざまな情報がその人の考え方や物の見方を決定づけてしまうわけで、そう考えると、血のつながった兄弟姉妹であっても、親子であっても、まったく同じ考え方や物の見方はできないのです。ましてや血のつながっていない(一緒に過ごした時間が短い)他人同士が同じ方向を見て何かを共にやっていこうということになれば、それは様々な人間模様が湧いて出てくるわけです。

私もずいぶん若い頃に、ある経営者のカバン持ちのようなことをさせてもらっていたことがあり、その期間にその経営者や企業を取り巻く様々な人間模様、裏切り、背任、暴力、目と鼻の距離でたくさん見てきました。人は人を裏切る、そして、人は他人を裏切る瞬間、人は自分が裏切っていると思っていない。自分の利益のためなら人は人を裏切る。ということを学びました。

 

他人を裏切った事ありますか?

自分が正しいと思う行動をとったとき、それが裏切りになってしまうこともあります。この場合は本当に裏切ったことになるのか。自分が損をしてしまうと感じたとき、他人に損を擦り付けて平然としている人も多くいます。これは自らの損を回避するための行動であって、決して他人を裏切ったわけではないと心の底からそう思っているわけです。他人を陥れたのではなく、自分を助けたのだと。

私はいままで様々な裏切りを受けてきました。

じゃあ、おまえは他人を裏切ったことがないのかと問われれば、私はこう答えます。

私は、他人を裏切ったことがあります。

このまま今のコミュニティにいては自分の将来性を消してしまうのではないか、今のままの交友範囲を継続するのはコストに合わないのではないか、目の前の人は自分の正しさを認めさせようとするだけで知らぬ間に私を傷つけているのではないか、そう感じたとき、私はいきなり人間関係を絶ちます。そして、その私の行為を人は「裏切り」と呼びます。

私の裏切りとは、特に意見の相違や対立も無く、関係も良好だった人たちと突然関係を絶つ行為です。相手が間違っている、自分が間違っている、ということではなく、このまま関係を続けたとしたら、自分が利用される、自分が貶められる、自分が成長しないと感じた瞬間、私は他人を裏切ります。この選択は正しいのか、間違っているのか。

自分が正しいかどうかは分かりません。正しいかどうかの答えなどこの世に存在しないと思っているからです。正しさは人それぞれに正解が異なります。

今の自分を見ると、他人を裏切った行為は正しかったという解釈もできます。心の平穏が得られたからです。私に裏切られたと感じている人は私が失敗すれば良いと常に呪いをかけていると思います。しかし私にはその呪いが効きません。なぜならその人との関係を断ち切っているからです。

 

人は常に正しく、常に間違っている。

自分は常に正しくて、他人はすべて間違っている。ということではなく、人は常に正しくて、同時に常に間違っているのです。

人はそれまで生きてきた中で見聞したもの、経験したこと、そのさまざまな情報がその人の考え方や物の見方を決定づけてしまうわけです。ですから、同じ考え、同じ物の見方は決して出来ません。

そんな前提の中でも、他人同士手を携えて取り組まないと出来ないことも多くあります。そういうとき、私たちはどのような考え方でどのような行動を取ればいいのでしょうか。

私は常に、あの時は自分を守るためにあのコミュニティを裏切ったのだと忘れないようにしています。そして、同じような過ちを繰り返さないためにも、人間関係を築き始める瞬間を慎重に迎えるようにしています。

後味の悪い人間関係の断絶を経験すると、人間が卑しくなります。それを繰り返していると、人は嘘つきになります。自分は悪くない、自分は正しいと思うことだけが救いになってしまった人、自分を正当化することだけに人生の大半の時間を使って、本当の自分を失ってしまった人。そういう人をたくさん見てきました。

自分の胸に手を当てて、自分に嘘偽りがないか、他人に対して常に誠実でいられるか、という問いを心がけています。たとえそれが他人にとって不誠実と受け止められても、相手のことを思いやります。そして相手が自分のことを思いやっていないと知ったとき、私は相手を裏切ります。

おまえは他人を裏切ったことがないのかと問われれば、私は、他人を裏切ったことがあると答えます。私の中の裏切りとは、コミュニティとの決別です。新しい場所への一歩を踏み出すために、すべてを捨てることです。それが過ちだったのかどうかは、その後の、これからの自分の生き方で証明するしか無いと思っています。

 

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