--追記あり--
ちょっと最近ももたんに使う「餡」のことで悩んでいるという話し。
今仕入れている製餡所にちょっと問題があって。まあ、これを書いたら身も蓋もないんだけど、その問題というのが、
「美味しい餡を作れない」
ということだったりして、取引やめようかどうか真剣に悩んでいる。
フレーバーを付け加えるためのベースの白餡は問題無いというか、これについては僕は他所より美味しいと思ってる。でも、普通の小倉あんとかこしあんが絶望的にマズい。
で、本人たちは逆の感覚らしく、普通の餡については美味しいと思っていて、逆に白餡はあんまり美味しくないと思ってるらしい。いろいろ話しを聞くと、高い材料を使っているものは美味しいだろう、安い材料を使ってるものはそんなに美味しくないだろう、という単純な感覚らしい。
知り合いの和菓子屋さんが、その製餡所の営業車がウチの前に停まっているのを見て、「あんた、あんなとこの餡を使ってるのかw?」と言われたことがある。最近その理由が少しずつ分かってきた。
その製餡所にはちゃんと職人さんもいるし、設備も揃ってる、仕事もまあ細々とレベルの問題はあるけどちゃんとやってくれている。でも、自分たちはこういう餡を作るんだ!という意思が全く無い。そこが問題なのだと最近気づいた。
彼らは餡を作っているけど、食べ物を作っているという感覚に乏しい、というかそういう感覚が全く無い。僕がレシピを渡したら美味しいものが作れるけど、自分たちでレシピが考えられない。もっと美味しくなるんじゃないかと改良する姿勢もない。でもそういう所って案外多いみたい。
世の中にはグルメな人が多い。でも美味しいものをたくさん食べているから美味しいものが作れるのかといえばそうでもない。でも、美味しいものを作るには美味しいものを食べるのは必須条件なのだと思う。
美味しいものを食べると、料理をする時に「どこまでやっていいか」という塩梅が分かるようになる。ギリギリを攻めるというか、新しい味の創造についての範囲が広くなるのだと思う。
僕はフランス料理だって、和食だって、パンだって、饅頭だって、全部料理だと思ってる。工場でネジやボルトを作ってるのと違うのは、仕事として食べ物を作るというのは、普段食べてるものと同じ「料理する」という感覚なのだと思う。
考えるということは、知っていなければ出来ない。知ろうとしなければ、探すことは出来ない。探さなければ自分のやるべきことは見つからない。
食べ物に関わる者として、作る前に食べることがいかに大切なのか、最近よく分かってきた。
どんな道でも、一流になるかどうかは好奇心の差なんだろうね。美味しいものを食べるというのは食への好奇心の表れ、美味しいものを作ることは表現力の表れ。まあそういうことなんだろう。
先に書いた製餡所の件。早めに切り替えようと思ってる。そのうち僕の工場にも餡練機を買って自分で餡を作るようにしようと思う。
--追記--
で、問屋さんに製餡所を変えたいと伝えたんだけど、岡山だと今のところが一番誠実でマジメにやっているところだと言われた。うん、マジメで誠実、それは僕も分かってる。製餡所についてはここに書けないような話しもよく聞くし。岡山に絞ればここしかないかなと思う。
でも、菓子メーカーと材料メーカーは二人三脚で進まんと良いものは出来ん。餡以外の素材については食の知識の豊富な営業さんとよくよく話し合って新しいものを開発している。どこも岡山ではないけれど。
この問題についてはもう少し時間がかかりそうだな。。。