別に大きなパンは僕が始めたわけじゃない、もともと大きなパンはヨーロッパにはあった。で、12年前に僕が大きなパンを焼き始める時に、大きなだけだと他の人がやったらすぐに出来てしまうし、単なるヨーロッパのパクリをやってもしゃあないし、ということで日本の四季と会席料理にも取り入れられている陰陽五行の色彩を取り入れてグランパーニュを作ったわけよ。あれはヨーロッパの伝統手法で日本を表現するということと、テーマである「パンを分け合うように愛を分け合う」というメッセージを体現するために、グランパーニュは商品として確立しているんですな。
「大きいこと」と「生地に色と香りをつける」の二段階にすることで独自性を確立したわけですね。で、これを一般に販売するために大きなパンを作るためだけのノウハウを築いてきたんです。パンの生地に色を付けるなんてご法度に近かった。すごい批判されたし、ゲテモノ扱いを受けた。でも、そもそもグランパーニュの成り立ち自体が、大きくて色がついていることに必然性があったわけで、そうでなければグランパーニュとは呼べない、というフォーマットを作ったわけです。
だから、単に大きなパンを焼いても、それはグランパーニュとは呼べないし、単に色がついたパンをグランパーニュとは呼ばない。ここに僕のオリジナルがあるわけです。でも、真似しようと思えば簡単に真似できる。レシピだって、本で公開している。でも、どうして誰もそれをやらないかといえば、売れないからw、ではなく、ちゃんと業界の方々が僕の仕事としてリスペクトしてくれているからだし、僕の12年の苦労を認めてくれているからだと思うんです。
それに、一流の人達は誰かの真似をしないんです。誰かと同じに見られたくないから自分の世界観を研ぎ澄ませて、お店や商品を作り込んでいくんです。一流の人たちは自分の世界観を表現するために世の中の全てのものを取り入れて、三流の人たちは、他人の世界観に憧れて世の中の全てを真似る。そしてそれが自分の世界観だと錯覚するんです。で、流行りが去ればそれも忘れるわけです。
流行りものを取り入れるのは生き残るための重要な要素なんだけど、一流の人達はちゃんと自分の世界観に沿って表現します。表現が散らかることは無いんです。友人がFacebookでコメントしてくれた、
「そうするまでの過程とか熱意とかロジックとかある」
ここにすべてが込められている気がする。そうなるまで、グランパーニュなら、今の製法やスタイルになるまでに12年かかってる。そうする必要性を見つけて体現するまでにかかった時間にもストーリーがあるんです。僕が築いたオリジナルをリスペクトしてくれた上で、それにさらにオリジナルを加えて何かを生み出せば、それは素晴らしいことだと思う。でも、他人のオリジナルをリスペクトしない人はリスペクトされないと思う。
オリジナルとは何かという議論になると難しいと思うけど、やはりそこは世界観なんだと思う。表現したいことがあって、それを表現するために何度も何度も失敗して築き上げた自分にしか出来ない手法、それを作るためにしか使えないような個性的な手法、そこに込められた年月や思いにこそオリジナルが宿ると思うんです。
まあ、どうでもいい話なんですがね。
久々にイライラしたけど、よくよく考えたら、僕もう次のステージに立ってるんで、低いレベルでウロウロしてる人に構って、あんましツマラぬことでイライラするヒマがあったら仕事したほうがいいな、という感じです。
しかし、友人というか割と知ってる仲なのに、同じようなものを作ってしれっとしている氏には、早く自分だけの世界観を築いていただいて、流行りものを追うばかりの人生から脱却していただきたいものであります。
氏が名を上げようとヴァン・ナチュールやったりシャルキュトリーやったりしてるのが、表面的に流行りを追っているだけだという評価は定着しつつあるわけですから、もっと物事の本質を見据えて頑張っていただきたいと思います。
グランパーニュをパクったレシピ本を出した前科もあり、氏も過去にモメたという高橋雅子女史と同じ道を自らも歩んでいるという事に恥ずかしさを感じていただければと思う次第です。パクリグセは麻薬と同じですから。。。
◯◯さん、早く自分のオリジナルが見つかるといいですね。