みんなイライラしてるね〜とりあえず神棚に手を合わせて心を落ち着かせましょう。
本来やらなければいけないことを、実はみんな忘れてしまってるんですよ。どーでもいいことを、みんなで寄ってたかってやろうとしている。
本来やるべきことだけを、しかるべき方法で、適切に実施してあげれば、それはそれで正しいということになる。
正しいかどうかはそれぞれの立場によって異なるし、その点で争いが起きるけど、それは、それぞれが個々に「自分は正しくありたい」と思う心がそうさせるのであって、じつは正義も悪もそこには無い。
意見のぶつかり合いが起きるのは、自分の正しさを主張するあまりに、相手にとって心地いい正しさを示してあげられていないからで、そういう無遠慮な行為が相手の中の「自分は正しくありたい」と思う心を閉ざしてしまっているようにも思う。
自分の正しさが、相手に対する糾弾に変化する様はおそらく段階的に進んでいく。
「自分は間違っていない」
「自分は正しい」
「自分のほうが正しい」
「相手が間違っている」
これでは話し合いも妥協も出来ない。だったらどうしたらいいのか。「自分は間違っている」とでも思えというのか、いやそうでない。なんでもかんでも「自分は間違っている」と思い続けると、人はうつ病になったり自分で死んでしまう。「正しい」「正義」というのは、社会の中で生きていくために必要な項目なんだと思う。
だったらどうしたらいいのか、どっちが正しいか法律にのっとって審判を下してもらうか。いやそんな面倒くさいことはしなくていい。相手が何らかの理由で精神的に破綻していたり、薬物を使用して錯乱していたりしないのであれば、お互いに正しいままで進むことが出来るんじゃないかと思う。
「自分の立場だと自分は正しい」
「相手の立場だと自分は間違っている」
こういう関係を「自分が間違っている」と思わずに改善していくのなら、どうしたらいいか。そういう考え方に立ってみたら、いいんじゃないかと思う。
まず最初にやることは、「自分の立場だと自分は正しい」と思う心を捨てる。まずは自分の主張を宙に浮かせてしまう。そこから、
「相手の立場で自分は間違っていない」
「相手の立場で自分は正しい」
という方向性に導いてあげる。と、同時に、自分のなかに相手を招き入れてあげる必要もある。どういうことかというと。
「自分の立場で相手は間違っていない」
「自分の立場で相手は正しい」
でも、やっていはいけないことがある。それは、
「絶対的に自分は正しい」
「絶対的に相手は正しい」
とは思わないように心がける。絶対的に正しいなんてこの世に存在していないから。
まずはここからはじめる。ここに立たないと何も進まない。だいたいここに立てないからみんなつまらないことで争ったりする。あ、そうそう、お金とか、権利の主張はここでは論じていない。他人の財産を奪おうとする人は、わりと多くいたりするから。
もし相手が折れない場合、どうしたらいいのか。これは相手と自分の関係にもよるけど、大なり小なり、こういう進め方でいったらわりと上手くいく。
これは僕のやりかたね。
「相手の立場では相手は正しい」
「僕の立場でも相手は正しい」
これが僕の究極の解決方法。え?何も解決してないって?そうそう、正しいか正しくないかなんて、どーでもいい、どーせ解決しない。戦争でもしなければ。
物理的に損害が発生しないのであれば、相手を怒らせたままにしておくのが一番適切だと思う。ようは心の持ちようだと思ってる。相手は僕に対して怒り狂ってる、でも僕は、相手が僕に対して怒るのは当然だ、と受け入れてしまう。これで解決。一件落着。
相手に対する「怒り」は心を蝕んでいく。一方で相手に対する「許し」や「許容」は心の寿命を延ばす。これがすべての真理のような気がする。
相手の怒りを受け入れてしまうことで、自分のためになる、自分の心のためにする、ということで、自分を滋養していくことが、自分にとって一番ためになることだと思う。
相手の怒りを受け入れるのは、相手のためではない、自分のため。相手が怒っている理由の100%は「自分が正しくありたい」という心だから、それはそれで尊重してあげればいい。人として一番醜い争いは、
「正しさ」vs「正しさ」
で、争いの果てに導かれる結果は、
「間違い」
でしかないんだよね。まったく、という身も蓋もない結論。僕みたいに口喧嘩が趣味みたいな厄介な輩もいるから、そのへんは気をつけないといけないけどね。
で、自分が正しいと思うことをやるならどうすればいいか、ということだけど、これは、もう、相手が間違っていると思わないことに尽きるのではないかと。常に相手が正しいと思い続けながら、そしてそれを主張し、相手を立てながら、自分の正しさを実行していくだけなのかもしれない。なんせ、世界には70億人も他人がいるわけだから、70億の「正しさ」があるわけだし。みんなつまらぬ喧嘩をしないように。
スマホから祝詞を奏上できる時代ですから。