ちょっと思ったのでメモ代わりに。
さっきファミレスで飯食ってて、となりの席で学生がアムウェイに嵌められてて、ああ、最近感じてた違和感はこれだったんだと腑に落ちたことがあった。マルチ商法ですか、いやネットワークビジネスですか、いやネズミ講ですか、いずれにせよ彼らの話法の中に貫かれている考えたかに、
正しいことを“やらない理由”は無い。
という欺瞞に満ちた思考がある。
こんなに良い商品なんだから、こんなに良い社会貢献の仕組みなんだから、世の中に悪意に満ちた企業エゴが渦巻いている中でこんなに明快な回答はないじゃないか、君がやらない理由なんて無いだろう?そうじゃないか?
ビジネスセミナーや起業セミナーを経た人たちに対してどうしても拭い去れない違和感や拒絶感の理由が分かった気がした。前向きになり、意欲を持つというのは良いことかもしれないけど、世の中には無数のやらない選択の先にしか見えないことがたくさんあると思うんですよ。
そもそもセミナーに行って生き方を変えるなんて、そんな“お安い”人生に何の価値があるのか。「海外に行くと人生観が変わるよ」という安っぽい人生観と同じ、「この洗剤は広告費をかけていないからその分研究開発費や社会貢献に予算を割けるんだよ」という安っぽい売口上と同じ。
他人の“やらない”という選択肢を尊重しない思想
こんな正しいことを政府はやらずに済まそうとする、私たちは当たり前のように生きる権利を持っているのだからそれを支えるのは正しい税金の使い方だし、私達の悲惨な経験を伝えるためにも予算を使うべきだ。さあ、あなたは考えているヒマなんか無いですよ、だって、こんなに正しいことを“やらない理由”なんて無いんだから。
昨年、彼の地で活動するある女史から言われた言葉が印象に残っている。
彼らは正しい“コト”は必ず成されなければならないという考え方に囚われている。やらない理由が無いのになぜしないのか、正しいことをしないのは暴力だと決めつける。ただ、彼らは自分で自らことを起こそうとはしない。必ず他人の誰かにやらせようとする。彼らは決して自らの手を汚して事に当たろうとはしない。
世の中には結果を得るためにとる行動と、行動によって得られる結果しかない。扇動家としてアジるのもいいけど、自分の手を汚して、自分の金を突っ込んで、自分でやればいい。正しいことを“やらない理由”は無いという欺瞞は、遠くでアジりながら他人に行動させ腹を満たす偽者の生き方に他ならない。