ちょっとおっさんポエム。
僕がなんかやろうとしてると、必死になって無理だとかそれは不可能だとか言って行動を止めようとしてくる人がいるわけです。
ときには人格否定までしてきて、それはもう必死で止めに来る。
世の中にある、あらゆる理由を持ち出して、僕のやろうとしていることがいかに問題があるか、実現不可能か、危険かを必死で説いてくるんです。
その時は、その人がどうして必死になって僕の行動を止めようとするのか理由はよく分からなかったんですが、最近ちょっと分かった気がします。
同じように僕を貶めようと必死になってアラ探しをしてくる人がいました。
ネットの外で知っているプライベートネタを公開のSNSで出してきて貶めようとしてきます。
時には、過去のブログの内容を漁って、わざわざメールで送りつけてきて、お前の発言は間違っていると言ってくることもありました。
その時は、その人がどうして必死になって僕を貶めようとするのか理由はよく分からなかったんですが、最近ちょっと分かった気がします。
この二人には共通点があります。
二人ともチャンスを逃した人なのです。
人は、自分がチャンスを逃した時、他人のチャンスを奪おうとします。
一度チャンスを逃した人の多くは、次のチャンスが巡ってくるのを待てません。
もしかしたら、何がチャンスだったのかにすら気づいていなかったのかも知れません。
一度チャンスを逃した人の多くは、次のチャンスが巡ってくるのを待たず、他人に巡ってきたチャンスを潰そうとします。
それがその二人だったのではないかと思いました。
ただ、僕にも悪い点があったと言えます。
それは、僕がその二人のことを憐れんでいたことです。
僕は心のなかでその二人のことを可哀想だと思っていました。
僕よりも才能があり、環境も良く、社会的な地位もあるのに、僕はその二人のことを可哀想だと思っていました。
どうしてか、それは二人ともチャンスを逃したからです。
人が何かを諦めるのには理由があります。
人が何かを諦めるとき、本人以外の何かを理由にします。
親が、子供が、パートナーが、、、
でもたぶんそれは嘘です。
人が何かを諦める本当の理由は自分自身の中にあります。
諦めた自分を責めろとは言わないけど、諦めた自分を直視することは大切だと思います。
諦めることを選択したのも自分。
結果、
チャンスを逃したのも自分なのです。
すべての結果を決めるのは自分自身なのです。
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