ちょっとあることがあって思い出したので出かける前に少し。
僕は5年前にステージ3の大腸ガンを患い、手術後は抗癌剤治療を受けて今もこうやってくだらない人生を謳歌している。
手術後に始めた商売で当てて、その後にすべてを失ったりと、死を覚悟してからはまあ生きてる間にいろいろやっておこうと思うようになった。
自分が死ぬ時はどうなんだろうかなんて想像しても意味がないと思えるのは、死に直面すると本能として脳のどこか、精神のどこかに新たな思考がインストールされるからだと感じていて、僕もそんな感じで死ぬことを自然に受け入れた。
というよりも、死ぬことに意味なんて無いという考えに至ったわけだ。
実際に父も母も癌で亡くしている。
二親の死に際がどうだったか、という点についてはここでは書かない。
しかし、死ぬ時に遺された者たちとの思い出が記憶の中にどう残っているかというのは、金の多少や社会的な地位や名誉などは関係しない。
僕も若い頃には自分のお手に余るお金があったこともあった。でも、それが幸せだったかというとそういう記憶はない。金は使ったら終わりだし、異性とのホニャララも終わってしまえばどうでもいいことだ。
人が死ぬ時に、遺された者たちが”すがる”ことが出来るのは思い出だけだ。
3年前、パリで自社製品を売る好機を得たときも、このまま海外向けの企画を進めるかどうかという選択肢があった。1ヶ月パリに滞在してそれなりに楽しかったし、このままこういう仕事をやってもいいかなと思った。
でも、そうはしなかった。
なぜなら、僕はそれを思い出に止めておこうと思ったからだ。
商売というのは浮き沈みがある、時限の取引なら深追いせず良いときで時間を止めてしまえばそれはいい思い出になる。
老いて夫婦で語らう時の話の種になればいいかと僕はビジネスの拡大ではなく思い出を取った。
人生に栄光や成功なんて必要ない、心に残るのはいい思い出だけだ。
もし大切な人が近く死ぬと分かったら、いい思い出をつくることに専念するといい。
肉体はいつかは滅びる。
しかし思い出は残る。
いい思い出をつくろう。